プライバシー/注意事項
プライバシー/注意事項
〜もくじ〜
● 相談をくれる女の子達へ…相談内容の発信について
● メディアでの発信について…ボンドプロジェクトの
考え方
● メディアの方々へ
● メディアでの相談者の出演、メールや写真の使用に
ついて
● 無関心社会の罪とは
〈女の子達へ伝えたいこと〉
● スタッフ全員の顔を出している理由
— 女の子とのQ&Aから「 きれいごとの向こう側」を ー
● きれいごとの向こう側-1
Q:メールの返事をくれないのは、見捨てたの?
● きれいごとの向こう側-2
Q:相手してくれるのは私が「かわいそう」だから?
● きれいごとの向こう側-3
Q:あの子は、本音ではこう思っているのに、
ほうっておくんですか?ひどくないですか?
〈女の子達へ伝えたいこと〉
● スタッフ全員の顔を出している理由
— 女の子とのQ&Aから「 きれいごとの向こう側」を ー
● きれいごとの向こう側-1 Q:メールの返事をくれないのは、見捨てたの?
● きれいごとの向こう側-2 Q:相手してくれるのは私が「かわいそう」だから?
● きれいごとの向こう側-3 Q:あの子は、本音ではこう思っているのに、ほうって
おくんですか?ひどくないですか?
● 相談をくれる女の子達へ…相談内
容の発信について
声を届けてくれてありがとう。ボンドプロジェクトは、届いた声を社会に伝えていきたいと考えています。生きづらさの背景にはどんなことがあるのか、どうしてSOSは声にならないのか、社会には何が出来ていて何が出来ていないのか。社会全体で考えないと答えの出ないことがたくさんあるからです。寄せられた相談内容は、スタッフ内で共有します。また、個々が特定されないよう配慮した上で、事例として講演やメディアで発信することがあります。公表したくない場合は相談者にその旨を伝えてくださいね。
● メディアでの発信について…ボン
ドプロジェクトの考え方
ボンドプロジェクトは、相談を寄せてくれる女の子達の抱えた状況を積極的に発信していきたいと考えています。それは女の子達のリアルな「声」の中には、大人たちがまだ気づいていない日本社会の課題がたくさん隠されていると感じているからです。
若者の生きづらさは、かつて社会から関心を向けられることのないテーマでした。「非行」「不良」「家庭内暴力」「少女売春」「不登校」「ひきこもり」「自傷行為」…大人たちはその不可解な行動に憤り、「子どもの責任」と思い込んでいましたし、また、そのように発信するメディアも多くありました。現在、まだ少しずつではありますが、その状況は変わりつつあると感じています。若年世代の自殺率の高さから、背後に放置出来ない問題が隠れていることに社会が気づき始めています。
若者の、一見不可解に見える行動の背後には「生きづらさ」がある。私たちの活動はそもそも、そんな「声にならない声」を伝えることから始まりました。ひとりひとりの抱えている「生きづらさ」の形は異なっていて、「苦しい」とはっきり言える子もいれば、「平気」と生きづらさを表面上なかったかのように振る舞う子もいます。不器用で混乱していて、言葉としてはまとまりにくいひとりひとりの「声」をそのまま発信することで、女の子たちがまた、声を届けてくれる。その積み重ねが今になっています。その声から社会が学びとるべきことはたくさんあります。
例えば、いじめ、 不登校、貧困、虐待、過干渉、性被害、ネグレクト、DV、望まない妊娠や出産。若年女性たちがその困難を隠したまま孤立すると、今度はネットや街で彼女たちを利用する大人と出会ってしまったり、自分たちだけで解決しようと、より問題を複雑化させてしまったりするケースがあります。売春、違法薬物の使用、危険な中絶や赤ちゃん遺棄、自傷、あるいは「自死」や「他害」という行為…。事件のニュースは批判的に報じられ、抱えている困難は重大な社会問題として、別々に報じられていますが、実はひとりの人間の、一連の人生の中で起きていることも多くあります。社会はまだまだ、困難を抱えた子の現実には無関心で、自己責任論などでむしろ生きづらさを抱えた子をさらに生きにくい世界へと追い込んでいるのが現状です。私たちは、社会がそうしたリスクについて意識を高め、問題を起こした時にだけ目をむけるのではなく、もっと早い段階で関心を持って子ども達、若者たちを見守ることが重要だと感じています。
事件のニュースを見て「他人事のように嘆く」のではなく、今、若年世代が孤立しないよう「未然にふせぐ努力をする」ため、大人達に何ができるのか。女の子達の声の向こうにある、言葉になりきらない背景に関心を向けてもらい、多くの人に一緒に考えてもらいたいと思っています。「こんな現状があるのか」と驚くステージを終え、「この現実と背景に対し、社会は何ができるのか」という目線に、社会もメディアもどんどん変化してもらいたいと切に願っています。
何かのきっかけで、私たちの発信する声に触れた方に願うのは、誰かを責める、批判するのではなく、まだ日本社会が解決できていないこの問題について、一緒に考える一員になってもらいたい、ということです。見過ごされてきた苦しみを未来の子ども達が繰り返さないために、一緒に考えてもらえる縁を、たくさん作りたいと思っています。
● メディアでの発信について…ボンドプロジェクトの考え方
ボンドプロジェクトは、相談を寄せてくれる女の子達の抱えた状況を積極的に発信していきたいと考えています。それは女の子達のリアルな「声」の中には、大人たちがまだ気づいていない日本社会の課題がたくさん隠されていると感じているからです。
若者の生きづらさは、かつて社会から関心を向けられることのないテーマでした。「非行」「不良」「家庭内暴力」「少女売春」「不登校」「ひきこもり」「自傷行為」…大人たちはその不可解な行動に憤り、「子どもの責任」と思い込んでいましたし、また、そのように発信するメディアも多くありました。
現在、まだ少しずつではありますが、その状況は変わりつつあると感じています。 若年世代の自殺率の高さから、背後に放置出来ない問題が隠れていることに社会が気づき始めています。
若者の、一見不可解に見える行動の背後には「生きづらさ」がある。私たちの活動はそもそも、そんな「声にならない声」を伝えることから始まりました。ひとりひとりの抱えている「生きづらさ」の形は異なっていて、「苦しい」とはっきり言える子もいれば、「平気」と生きづらさを表面上なかったかのように振る舞う子もいます。不器用で混乱していて、言葉としてはまとまりにくいひとりひとりの「声」をそのまま発信することで、女の子たちがまた、声を届けてくれる。その積み重ねが今になっています。その声から社会が学びとるべきことはたくさんあります。
例えば、いじめ、 不登校、貧困、虐待、過干渉、性被害、ネグレクト、DV、望まない妊娠や出産。若年女性たちがその困難を隠したまま孤立すると、今度はネットや街で彼女たちを利用する大人と出会ってしまったり、自分たちだけで解決しようと、より問題を複雑化させてしまったりするケースがあります。売春、違法薬物の使用、危険な中絶や赤ちゃん遺棄、自傷、あるいは「自死」や「他害」という行為…。
事件のニュースは批判的に報じられ、抱えている困難は重大な社会問題として、別々に報じられていますが、実はひとりの人間の、一連の人生の中で起きていることも多くあります。
社会はまだまだ、困難を抱えた子の現実には無関心で、自己責任論などでむしろ生きづらさを抱えた子をさらに生きにくい世界へと追い込んでいるのが現状です。私たちは、社会がそうしたリスクについて意識を高め、問題を起こした時にだけ目をむけるのではなく、もっと早い段階で関心を持って子ども達、若者たちを見守ることが重要だと感じています。
事件のニュースを見て「他人事のように嘆く」のではなく、今、若年世代が孤立しないよう「未然にふせぐ努力をする」ため、大人達に何ができるのか。女の子達の声の向こうにある、言葉になりきらない背景に関心を向けてもらい、多くの人に一緒に考えてもらいたいと思っています。
「こんな現状があるのか」と驚くステージを終え、「この現実と背景に対し、社会は何ができるのか」という目線に、社会もメディアもどんどん変化してもらいたいと切に願っています。
何かのきっかけで、私たちの発信する声に触れた方に願うのは、誰かを責める、批判するのではなく、まだ日本社会が解決できていないこの問題について、一緒に考える一員になってもらいたい、ということです。見過ごされてきた苦しみを未来の子ども達が繰り返さないために、一緒に考えてもらえる縁を、たくさん作りたいと思っています。
● メディアの方々へ
私たちはメディアとの関係も、人と人の信頼関係だと考えているので、明確な基準は作っていませんが、メディアの都合で女の子を利用するような取り上げられ方については、取材はお断りしています。女の子だけを紹介してほしいという依頼もお断りしています。10代20代の女の子達に身近な媒体や、「自分たちも声をあげてみよう」と思えるもの、社会が若年女性の抱える困難に目を向けるきっかけとなる取り上げ方が、基本的な基準です。
● メディアでの相談者の出演、メー
ルや写真の使用について
具体的なメールのやりとりや写真の掲載、あるいはメディアでの出演を相談をくれた女の子にお願いする場合は、別途本人に確認をし、許諾を得た場合に限ります。一度出演を決めた後に気持ちが揺らいだ場合は、当事者である女の子の意向を尊重します。
ネット配信の動画についても必ず本人の許可を得て、また公開時に連絡のとれる対象には公開前に映像を見てもらい気になる点など指摘をもらった上で公開しています。動画に協力をしてもらった女の子で、後で気持ちに変化があった場合や、気になる点がある場合は連絡をくださいね。
● 無関心社会の罪とは
私たちに声を寄せてくれる10代20代の女の子の中には、学校や社会で孤立してきた子が多くいます。
性被害にあったある女の子は、地方独特の風土でたちまち近所で噂され被害のことが広まり、「汚い」とクラスメイトからいじめられたといいます。親から虐待を受けていた子は、小学生の頃からそれがばれないよう、常に演技をしたり、嘘をついたり、人と近づきすぎないよう境界線を作り、どこにも居場所がなかったと言います。そして行き場のない感情が爆発したり、勉強どころではない精神状態になったりしてしまうと、教師から「問題視」されました。さらに、苦しさからリストカットなどの自傷行為につながれば、多くの大人は見て見ぬふりをします。ひとつの困難が新たな困難を呼び、精神疾患や摂食障害、希死念慮が強まるなど心身に症状が出たり、自分たちに積極的に近づく「少女を利用しようとする大人たち」の世界に引き込まれていったりすると、さらに孤立してしまいがちです。
それは、少女や、直接少女を傷つける行為をしている人だけでなく、こうした問題に無関心な社会が生み出しているとても悲しい現実です。虐待、いじめ、貧困など社会問題として広く認識されている事柄であっても、現実に生きづらさを抱えた子は、抱えた困難には目を向けられないまま、同世代からも大人からも「どこか浮いた子」扱いされてしまう。社会の「無関心」が少女たちをセーフティネットの外へ外へと追い込んでいます。
生きづらさを抱えた若年世代が追い込まれていくことに関して、実は誰もが当事者であること。「無関心」という攻撃をしてしまわないためにも、大人には積極的に若年世代の抱えた現実を知り考える責任があると感じています。
● 無関心社会の罪とは
私たちに声を寄せてくれる10代20代の女の子の中には、学校や社会で孤立してきた子が多くいます。
性被害にあったある女の子は、地方独特の風土でたちまち近所で噂され被害のことが広まり、「汚い」とクラスメイトからいじめられたといいます。親から虐待を受けていた子は、小学生の頃からそれがばれないよう、常に演技をしたり、嘘をついたり、人と近づきすぎないよう境界線を作り、どこにも居場所がなかったと言います。そして行き場のない感情が爆発したり、勉強どころではない精神状態になったりしてしまうと、教師から「問題視」されました。さらに、苦しさからリストカットなどの自傷行為につながれば、多くの大人は見て見ぬふりをします。
ひとつの困難が新たな困難を呼び、精神疾患や摂食障害、希死念慮が強まるなど心身に症状が出たり、自分たちに積極的に近づく「少女を利用しようとする大人たち」の世界に引き込まれていったりすると、さらに孤立してしまいがちです。
それは、少女や、直接少女を傷つける行為をしている人だけでなく、こうした問題に無関心な社会が生み出しているとても悲しい現実です。
虐待、いじめ、貧困など社会問題として広く認識されている事柄であっても、現実に生きづらさを抱えた子は、抱えた困難には目を向けられないまま、同世代からも大人からも「どこか浮いた子」扱いされてしまう。社会の「無関心」が少女たちをセーフティネットの外へ外へと追い込んでいます。
生きづらさを抱えた若年世代が追い込まれていくことに関して、実は誰もが当事者であること。「無関心」という攻撃をしてしまわないためにも、大人には積極的に若年世代の抱えた現実を知り考える責任があると感じています。
● スタッフ全員の顔を出している理
由 … 完璧ではないひとりの人間 として。
ボンドプロジェクトは、あえてメンバー全員の顔と名前をHPに公開して相談にのっています。それは連絡をくれた女の子達に、誰と話をしているのか分かってもらうためと、出来ればこちらもいつか、相談を寄せてくれた子の顔と名前を知って長い付き合いを続けていきたいから。ひとりひとり癖もあるし性格もあるし、いいところも弱いところもある。そんな等身大の人間として向き合うためにそれぞれの名前を出しています。
同じ人でも、メールと電話、会った時、それぞれ違う印象を持つかもしれません。関係が続くうちにまた印象が変わるかもしれません。私たちは、声を寄せてくれる女の子が私たちの癖を感じとり、自分で自分の心境によって相談相手を選ぶことを嬉しく思っています。それは、自分で考えること、自分で選ぶこと、感じることが生きる力になると感じているから。少人数で活動を続けているので、連絡をくれた時に、必ず話したい相手がいるとは限らないけど、そんな時は偶然つながったスタッフとも話をして、また感じてみてください。
完璧な行動が出来る人はいなくて、みんな時に間違いもありますが、ひとりひとり自分の言葉で女の子と向き合うことを心がけています。私たちに大きな期待を抱くときもあれば、大きな不満を抱く時もあるかもしれないけど、少しでも連絡をしてみたいと思ってもらえるなら、少しずつお互いを知りながら関係を築いていきたいです。もちろん、他の支援団体ともどんどんつながってほしいし、相談をくれる女の子に選択する権利があること、大切にしてほしいと思います。
〈 女の子達へ伝えたいこと 〉
〈 女の子達へ伝えたいこと 〉
● スタッフ全員の顔を出している理由
… 完璧ではないひとりの人間として。
ボンドプロジェクトは、あえてメンバー全員の顔と名前をHPに公開して相談にのっています。それは連絡をくれた女の子達に、誰と話をしているのか分かってもらうためと、出来ればこちらもいつか、相談を寄せてくれた子の顔と名前を知って長い付き合いを続けていきたいから。ひとりひとり癖もあるし性格もあるし、いいところも弱いところもある。そんな等身大の人間として向き合うためにそれぞれの名前を出しています。
同じ人でも、メールと電話、会った時、それぞれ違う印象を持つかもしれません。関係が続くうちにまた印象が変わるかもしれません。私たちは、声を寄せてくれる女の子が私たちの癖を感じとり、自分で自分の心境によって相談相手を選ぶことを嬉しく思っています。それは、自分で考えること、自分で選ぶこと、感じることが生きる力になると感じているから。
少人数で活動を続けているので、連絡をくれた時に、必ず話したい相手がいるとは限らないけど、そんな時は偶然つながったスタッフとも話をして、また感じてみてください。
完璧な行動が出来る人はいなくて、みんな時に間違いもありますが、ひとりひとり自分の言葉で女の子と向き合うことを心がけています。私たちに大きな期待を抱くときもあれば、大きな不満を抱く時もあるかもしれないけど、少しでも連絡をしてみたいと思ってもらえるなら、少しずつお互いを知りながら関係を築いていきたいです。
もちろん、他の支援団体ともどんどんつながってほしいし、相談をくれる女の子に選択する権利があること、大切にしてほしいと思います。
— 女の子とのQ&Aから
「 きれいごとの向こう側」を ー
私たちの思いだけを文字にすると、時にきれいごとに聞こえてしまうこともあるかもしれません。だからここでは「きれいごとの向こう側」と題して、時々女の子達から聞かれることや、私たちの間に起きるちょっとムズカシイやりとりについて、日頃直接は書かない思いを伝えてみますね。まだまだ考えていきたいことばかりなので、今後変わっていく可能性はあるけれど、今のムズカシイいろんなことについて考えていること
● きれいごとの向こう側-1
Q メールの返事をくれないの
は、見捨てたの?
返事が遅くなる時について
私たちは、7名のスタッフでメール相談、電話相談、面談、講演、事務作業などをやっているので返事が遅くなってしまう時があります。メールの設定によっては、こちらから返事をしても返ってきちゃう時もあるから、設定を確認してみてね。
あえて返信をしない時… 女の子からの「攻撃メール」と荒ぶる感情について
相談にのっていて、特にメールの場合、時々やりとりをしていてもなかなか会話にならなくて、「死ね」「殺したい」「返事くれないなら死ぬ」など、過激な言葉ばかり寄せられることがあります。私のことでしょ!と思ったあなた、ひとりだけの話じゃないんですよ^^ ずっとではないけど、ある瞬間、攻撃が私たちにむいて、送られてくるメールが激しい嵐のようになる場合があります。
そんな時、実は私たちは返事をしなくなることもあります。それは、過激な感情で振り回しあうことは、むしろお互いにとってマイナスだと感じているから。心からの声を返しても、より深く聞きたくて問いかけても、響きあわない時、すこし時間を起きたいと考えます。生身の人間として傷つく存在であることも、知ってもらいたいとも思っています。
そんな時、女の子側からしたら、「女の子達と寄り添うなんてきれいごとばかり言って、結局見捨てるの!? 」と、思っちゃう瞬間もあるかもしれない。でも、私たちを探し出して声を届けてくれたあなたが持つ「生きる力」を信じているから、その生きる力をそいでしまう「攻撃者」でい続けてほしくないと思っています。「相談者」「支援者」の片方が自分の思いだけを伝える一方通行の関係ではなく、一緒に時間を積み重ねる関係になりたいと思っています。
荒ぶる感情との向き合い方は、ひとりひとり異なります。荒ぶる感情の「攻撃」の部分ではなくて、その葛藤を聞かせてもらいたい。また、違う言葉でまた話をしようね。メールでは言葉にならない時は、会えるなら、会おうね。
— 女の子とのQ&Aから「 きれいごとの向こう側」を ー
私たちの思いだけを文字にすると、時にきれいごとに聞こえてしまうこともあるかもしれません。だからここでは「きれいごとの向こう側」と題して、時々女の子達から聞かれることや、私たちの間に起きるちょっとムズカシイやりとりについて、日頃直接は書かない思いを伝えてみますね。
まだまだ考えていきたいことばかりなので、今後変わっていく可能性はあるけれど、今のムズカシイいろんなことについて考えていること
● きれいごとの向こう側-1
Q メールの返事をくれないのは、見捨てたの?
返事が遅くなる時について
私たちは、7名のスタッフでメール相談、電話相談、面談、講演、事務作業などをやっているので返事が遅くなってしまう時があります。メールの設定によっては、こちらから返事をしても返ってきちゃう時もあるから、設定を確認してみてね。
あえて返信をしない時… 女の子からの「攻撃メール」と荒ぶる感情について
相談にのっていて、特にメールの場合、時々やりとりをしていてもなかなか会話にならなくて、「死ね」「殺したい」「返事くれないなら死ぬ」など、過激な言葉ばかり寄せられることがあります。私のことでしょ!と思ったあなた、ひとりだけの話じゃないんですよ^^ ずっとではないけど、ある瞬間、攻撃が私たちにむいて、送られてくるメールが激しい嵐のようになる場合があります。
そんな時、実は私たちは返事をしなくなることもあります。
それは、過激な感情で振り回しあうことは、むしろお互いにとってマイナスだと感じているから。心からの声を返しても、より深く聞きたくて問いかけても、響きあわない時、すこし時間を起きたいと考えます。
生身の人間として傷つく存在であることも、知ってもらいたいとも思っています。
そんな時、女の子側からしたら、「女の子達と寄り添うなんてきれいごとばかり言って、結局見捨てるの!? 」と、思っちゃう瞬間もあるかもしれない。でも、私たちを探し出して声を届けてくれたあなたが持つ「生きる力」を信じているから、その生きる力をそいでしまう「攻撃者」でい続けてほしくないと思っています。「相談者」「支援者」の片方が自分の思いだけを伝える一方通行の関係ではなく、一緒に時間を積み重ねる関係になりたいと思っています。
荒ぶる感情との向き合い方は、ひとりひとり異なります。荒ぶる感情の「攻撃」の部分ではなくて、その葛藤を聞かせてもらいたい。また、違う言葉でまた話をしようね。メールでは言葉にならない時は、会えるなら、会おうね。
● きれいごとの向こう側-2
Q 相手してくれるのは私が
「かわいそう」だから?
私たちはあなたを「かわいそう」と思っていない「どうせ、私がかわいそうだから相手してくれて、私に興味を持っているんでしょ」と投げかけられる時があります。私たちは、相談してくれた子を「かわいそう」とは思っていません。起きた出来事や起きている現状について、かわいそうと思ってしまうことはあっても、「かわいそうな存在」とは思っていません。また、「かわいそうであり続けないと、関係を結べない」と思い込んでほしくないと思っています。むしろ、生きづらさの中にいながらもここに連絡をくれた女の子達ひとりひとりが実は持っている「生きる力」に心ひかれています。
また、女の子達が自分自身のことを「被害者だった」「あの時の私はかわいそうだった」と思うべき時と、思い続けないほうがいい時があると思っています。基準は、そう思うことが自分を前に進めてくれる、足かせになるか。もし今、自分ばかりを責めていたとしたら、「自分は被害者だった」と「自分は悪くなかった」と知ることはとても大切なこと。つらかったことを、なかったことにしなくていい。「自分はかわいそうだった」「自分は被害者だった」と言葉にすることで、自分を大切に出来るようになることがあります。
でもその先ずっと、私たちが、周りが、あるいは自分で自分のことを「かわいそうな存在」と決めつけてしまうと、被害者意識や無力感だけがふくらんでしまうかもしれない。人生に起きる何もかもが誰かのせい、何かのせいと思い続けてしまうかもしれない。余計に生きづらくなってしまうかもしれない。もしも「かわいそう」が自分の足かせになっているなら、外せたらいいなと思います。
このへん、少し難しくて、社会に対して発信する時には、女の子達が実は様々な社会のひずみの「被害者」であることを知ってもらわなければいけなくて、そんなふうに私たちも言葉を発信する時もあります。それは、社会はまだまだこの問題を知らなさすぎるから。本当に起きていることを知らない人が女の子達のことを「かわいそうではない」「自分のせい」というのはかえって女の子達を追い込むことになる。
でも、今を生きる、相談を寄せてくれたひとりひとりは、「かわいそう」のその先に、実は自分の中に「生きる力」があること、それを育む力を持っていることを知ってほしい。話を聴きたい。それは「かわいそうだから」ではない。と考えています。
● きれいごとの向こう側-2
Q 相手してくれるのは私が「かわいそう」だから?
私たちはあなたを「かわいそう」と思っていない
「どうせ、私がかわいそうだから相手してくれて、私に興味を持っているんでしょ」と投げかけられる時があります。私たちは、相談してくれた子を「かわいそう」とは思っていません。起きた出来事や起きている現状について、かわいそうと思ってしまうことはあっても、「かわいそうな存在」とは思っていません。
また、「かわいそうであり続けないと、関係を結べない」と思い込んでほしくないと思っています。
むしろ、生きづらさの中にいながらもここに連絡をくれた女の子達ひとりひとりが実は持っている「生きる力」に心ひかれています。
また、女の子達が自分自身のことを「被害者だった」「あの時の私はかわいそうだった」と思うべき時と、思い続けないほうがいい時があると思っています。基準は、そう思うことが自分を前に進めてくれる、足かせになるか。
もし今、自分ばかりを責めていたとしたら、「自分は被害者だった」と「自分は悪くなかった」と知ることはとても大切なこと。つらかったことを、なかったことにしなくていい。「自分はかわいそうだった」「自分は被害者だった」と言葉にすることで、自分を大切に出来るようになることがあります。
でもその先ずっと、私たちが、周りが、あるいは自分で自分のことを「かわいそうな存在」と決めつけてしまうと、被害者意識や無力感だけがふくらんでしまうかもしれない。人生に起きる何もかもが誰かのせい、何かのせいと思い続けてしまうかもしれない。余計に生きづらくなってしまうかもしれない。もしも「かわいそう」が自分の足かせになっているなら、外せたらいいなと思います。
このへん、少し難しくて、社会に対して発信する時には、女の子達が実は様々な社会のひずみの「被害者」であることを知ってもらわなければいけなくて、そんなふうに私たちも言葉を発信する時もあります。それは、社会はまだまだこの問題を知らなさすぎるから。
本当に起きていることを知らない人が女の子達のことを「かわいそうではない」「自分のせい」というのはかえって女の子達を追い込むことになる。
でも、今を生きる、相談を寄せてくれたひとりひとりは、「かわいそう」のその先に、実は自分の中に「生きる力」があること、それを育む力を持っていることを知ってほしい。話を聴きたい。それは「かわいそうだから」ではない。と考えています。
● きれいごとの向こう側-3
Q あの子は、本音ではこう思っ
ているのに、ほうっておくん
ですか?ひどくないですか?
「他の相談者の代弁」は受けつけない… その理由
「そんな支援の形でいいんですか。あの子はこう思っているのに、ボンドは全然分かっていない」時折、相談者が別の相談者の代弁として、あるいは女の子のふとした愚痴を聞いた人がその代弁として、あるいはネット経由で一般的な意見として、そうした怒りを私たちにぶつけてこられるケースがあります。
支援者として私たちも実は始めの頃、他の支援機関の文句を語る女の子に対して、必要以上に同意・同情して、同じようなことをしてしまっていたかもしれません。そうすることが、女の子の心を足止めさせ、現実をかえってこじれさせ、結果、前へ進むことを阻むことがあることを経験から学んできました。だから今は、本当に問題があったことについては現実的な対処をしても、「気持ちの代弁」はしませんし、そうした代弁はスルーしてしまいます。代弁ではなく、本人から、直接話を聴きたいと思っています。
● きれいごとの向こう側-3
Q あの子は、本音ではこう思っているのに、
ほうって おくんですか?ひどくないですか?
「他の相談者の代弁」は受けつけない… その理由
「そんな支援の形でいいんですか。あの子はこう思っているのに、ボンドは全然分かっていない」
時折、相談者が別の相談者の代弁として、あるいは女の子のふとした愚痴を聞いた人がその代弁として、
あるいはネット経由で一般的な意見として、そうした怒りを私たちにぶつけてこられるケースがあります。
支援者として私たちも実は始めの頃、他の支援機関の文句を語る女の子に対して、必要以上に同意・同情して、同じようなことをしてしまっていたかもしれません。そうすることが、女の子の心を足止めさせ、現実をかえってこじれさせ、結果、前へ進むことを阻むことがあることを経験から学んできました。
だから今は、本当に問題があったことについては現実的な対処をしても、「気持ちの代弁」はしませんし、そうした代弁はスルーしてしまいます。代弁ではなく、本人から、直接話を聴きたいと思っています。
引用・転載のご希望の場合は bond@bondproject.jp までご連絡ください。